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from ピロシのオフィスにて。
インターネットで副業、在宅ワーク、投資、ネットビジネスなどと検索すると、真っ当なものから怪しいものまで多くの情報サイトが出てくると思います。
その中の一つでもやったことある方がいるならきっとわかるはずです。
お金を稼ぐのは難しい・・・と。
ブログをたくさん書いてアフィリエイトで稼ぐ!1日5分のfxでリタイア生活!などといった言葉に釣られて高額の塾に入って結局稼げなかった。
もし、そんな経験がある方でしたらぜひ続きをお読みください。
今回インタビューさせていただいたのは、まさにそんな人です。
数年前まで大手メーカーに勤めていたサラリーマンの田村さんです。
田村さんは今でこそ年商2億円くらいを稼ぐ成功者ですが、ごくごく普通のサラリーマンでした。
しかも、借金まで抱えてたので普通以下かもしれない(笑)そんな彼の軌跡をインタビューしてきましたので、ぜひあなたの家計の刺激にしてください。
お勤めご苦労様です。
サラリーマンのお父さん!家で暇してる専業主婦のお母さん!ぜひ、これやりましょう。
毎月10万円のお小遣いを増やしませんか?
では、田村さんよろしくお願いします!
田村 よろしくお願いします。
何から話そうかな・・・?
鈴木 えっと、幼少期から全部教えてください。
読者さんに田村さんのすべてを伝えたいんで♪
田村 なるほど!了解です。
えっと、ぼくは今はこうして東京で暮らしてますが、産まれも育ちも福岡県の田舎町なんです。
周りは、自然しかないようなところで、父は公務員、母は専業主婦、兄と姉の5人家族でしたね。
ど田舎なので、遊ぶ場所はなんにもありません。
東京とは比べ物にならないです。
その代わりに自然はいっぱい。
親が公務員ということもあり、経済的にはごくごく普通か少ない方だったのかな?でも、お金っていう意味で言うと、困っていたわけじゃなく、お金のかからない生活でした。
普通の一戸建てに住み、小学生の頃は野球をやらせてもらって、中学からは部活と塾の日々。
お金を使う時間なんてありませんでしたね。
近所の子供たちとなんら変わらない生活だったと思います。
いまはぼくにも1人の息子と2カ月後に生まれる子供がいるのでわかるんですが、父が僕を生んだ時って30代前半で3人目です。
公務員の手取りで30万円くらいでしょうか。
余裕はそんなになかった生活だったと思うんですよ。
それなのに、野球や塾と自由にさせてもらって両親には本当に感謝しています。
今でも覚えてるんですが、ぼくが子供の頃って公務員の手取りが減らされていく時代です。
小学生のころ、父が母にボーナスを現金で100万円わたしていました。
帯を覚えているんですよ。
当時は振り込みじゃなくて手取りだったんでしょう。
でも、3年生4年生と学年があがっていくにつれて、帯がなくなり、いつのまにかそんな行為もなくなっていました。
だから、けっこう切り詰めて生活していたんじゃないかと思います。
そして、お金エピソードで言うと、ぼくは貯金が趣味っていうか、親からそういう教育を受けていました。
郵貯の口座を作ってもらって、お小遣いの一部を毎月貯金してたし、お年玉も全額貯金です。
母は、みどりの看板が見えたら「お金持っとくと落とすけん、あそこに入れとき!」っていつも言ってました。
兄は2浪で大分の大学仕送り10万円。
姉は2つの専門学校へ
大人になってから母に言われたんですが「あんたが一番お金かからんかったよ」これが印象的でしたね。
ぼくの兄は、大学受験に2度失敗して2年間も浪人生活をしていたんです。
予備校は河合塾というところに通って年間100万円以上かかっていたとか。
そして、ようやく受験に合格したと思ったら大分の大学で仕送りを毎月10万円もしていたそうです。
そして、姉は2つの専門学校へ行ってました。
これが僕が中学生?高校生のころです。
この頃からなんとなく父の手取りも計算できる年になってましたから、自分の家にお金がないことは、子供ながらに感覚としてわかっていました。
だから、絶対に公立高校に合格したかったんです。
でも、結果は受験に失敗してしまったんですよ。
あれは本当にショックでした。
滑り止めで受験していたのが私立東福岡高校。
ちなみに後で知ったのですが、、サッカー日本代表の長友選手と同じ学校で同級生でした。
東福岡高校は、ガッツリ勉強する特進英数コースとガッツリスポーツをやる普通科コースがあって、僕が合格したのは特進英数コースでした。
野球部に入って甲子園目指すつもりでしたが、特進英数コースにはちょっと変わったボーナスがあったんです。
それは、成績上位10位以内の人は学費無料、毎月1万円のお小遣いです。
ぼくはたまたま受験の成績で10位以内に入ってたんです。
家にお金がないのは感覚でわかっていましたから、どうしてもぼくはこの成績をキープしたいと思っていました。
だから、勉強を必死に頑張りました。
野球をやる時間はなく、すべて勉強です。
ふつうの授業で1~6時限目までですよね。
特進コースは0時限目と7、8時限目があり、7時ころまで学校にいます。
その後、予習復習を済ませて、家に帰っても2時間ほど勉強をする。
そんな生活です。
高校の3年くらいだったらこの勉強も頑張れる!それに、国立大学に入るにはこれくらい勉強することが必要だ!ってのは、1年生の秋には気づいてました。
結論から言うと、ぼくは高校生活で36万円貯めたんですよ。
中間テスト期末テストの成績が15位のところに、マーカーで線が引かれるんですが、このマーカーより下に行くとまず、親が学校に呼び出されるんですよ。
次回のテストでもこれより下がったら授業料免除がなくなります。
さらに次も下がったら、毎月1万円も無くなります。
ぼくは絶対に学校に親を呼びたくなかったので勉強は本当にがんばりました。
おかげさまで実家から通える国立大学にもストレートに入学できました。
当時はきつかったけど、終わってから考えたらなんとなく、親孝行できたかな?と思っています。
鈴木 親の経済状況って子供ながらに見えちゃうと気を遣うのすっごい共感できます。
田村 本当にそうですよね。
ぼくの場合は兄と姉がいたからだと思うんですが、そういった意味では親に勉強しろって言われたことがないんですよ。
でも、兄はいつも勉強しなさい!って怒られてて、結果2浪。
ぼくは兄を反面教師にして自分から勉強してました。
鈴木 ぼくは勉強はしてないけど、上の行動はじっくり見てました。
それで親にぶーぶー言われるようなことは自然とやらないようにしてたかも!末っ子の性ですね(笑
でも、こうして聞いてると、副業やお金を稼ぐとかそういった原体験は高校生まではないんですね。
田村 はい、大学に入るまでは野球と勉強しかしてません。
グレませんでしたが、小6のころタバコを吸ったことはあります(笑
鈴木 かわいいですね(笑
田村 はい♪
次回に続く・・・高校からもらった36万円の行方・・・一瞬でお金はなくなる・・・。
田村浩プロフィール
1986年生まれ。
福岡出身。
大学卒業と同時に2009年に上京。
大手ITメーカーで営業をしながら、2015年2月から副業で物販ビジネスを始める。
同年4月には第一子も生まれ1児の父となる。
これからは自分が大黒柱として家計を支えばければならないという思いに感化されつつ、大学卒業当時から目標として掲げていた「30歳までに独立起業」を意識し始める。
その後必死に独立起業の夢の実現に向けて副業として物販事業を拡大。
2015年7月には初めて副業収入で月収100万円を達成し、物販ビジネスを始めて丸1年後の2016年2月に初めて副業収入として月収200万円を達成する。
そして晴れて2016年12月に退社。
2017年1月に法人設立を果たす。
この経験を活かしサラリーマンや主婦が副業で稼ぐ力を身につけるための情報を得る場所としてHappy Lifeの運営を開始し、様々な副業情報や、普段の生活をお得にする情報を発信中。