第1話 人生100年時代を生き抜くためには!?マネー新常識で資産の増やす方法を切り開く!椙田拓也さんインタビュー

July, 02, 2018

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「社長になる」という夢を持って日々過ごしている人は、あなたの周りにはいますか?主婦のあなた、もしくは旦那さんは「そんなの絶対無理!」と思うかもしれません。
椙田さんは、高校生の頃から「社長になる」という夢を持って人生を歩んできました。
「無理!」と「なる!」とでは、行動や習慣がガラリと変わってしまいます。
諦めムードの人生と、まだまだ希望がある人生、あなたはどちらの人生を歩みたいですか???

独立するまでは、漠然と不安を感じていました。

学生時代は、地元の兵庫の高校を卒業して、九州の公立大学に進学しました。
その大学生の時に、光通信というベンチャー企業で携帯電話を販売するアルバイトをしていました。
時給制でしたが、相談をして完全歩合制にしてもらい、多い時で月100万円も稼ぐことができたんです。
そこから新卒で大和ハウスに入社をして、そこで初めて不動産と関わることができました。
お客様は主に地主の方が多く、そのときは「不動産は自分のようなサラリーマンではなく、地主さんが買えるものなんだ」と思ってしまい、早くから不動産と出会うことができたんですけど、不動産投資まで遠回りの道を歩むことになってしまったんです。

当時の大和ハウスは、「浪速のド根性営業」という言葉が当てはまるくらいにブラック企業でした。
そんな中でも僕は一生懸命に仕事をして、順調に業績を上げていました。
しかし1年目の冬のボーナスが、毎日営業時間中に寮で昼寝をして受注ゼロだった同期と、ほぼ同じ金額しか支給されず愕然としたんです。
しかも年功序列制を導入していて、10年で係長、勤続20年で銀バッジ、30年で金バッジと、こんなチョコボールのおもちゃの缶詰みたいな会社はイヤだ。
と思ってしまい、2年で退職しました。

退職後は光通信の先輩から声をかけて頂き、光通信に転職をしました。
仕事は面白く、業績も順調だったのですが、とにかく激務なベンチャー企業で、20代の体力でやっとついていけるような労働環境でした。
IT関連の出身者は独立起業する人が多かったので、僕もどうするか迷いましたが、特にやりたい仕事がなかったので、オリンパスという精密機器メーカーに転職をしました。

当時の僕は、労働とお金の関係がよくわかっていなかったんです。
それともう1つきっかけがあるんですけど、学生時代にヤクザと知り合いになって、そこから学んだこともあったんです。

ヤクザの準構成員から教わったこと

大学時代は光通信のアルバイトとは別で、カラオケ店でアルバイトもしていたんです。
そのカラオケ店でFさんというお客さんがいて、よくクレーム対応をしていたんです。
Fさんはパッと見でヤクザの見た目をしていて、案の定ヤクザ組織の準構成員でした。
カラオケ店はマンションの1階にあって、Fさんはそのマンション内に暮らしていたんですが、カラオケの音が気になるみたいで、そのたびにクレームに来ていたんです。

それである日に、駐車場で立派なスポーツカーが停まっているのを見つけたんです。
アルバイト中だったのですけど、クルマが好きだったのでつい見とれちゃったんです。
すると後ろから「兄ちゃん、なにをジロジロ見とんねん」と、声が掛けられたんです。
どうやらFさんの車だったみたいで、すかさず作り笑いを浮かべながら「あ、いや、かっこいいなーと思って・・・僕の地元の姫路ナンバーですし・・・」と答えたところ、姫路出身で親近感が出たのかドライブに連れてもらったんです。
ドライブ中にFさんから「これなぁ、大阪のショールームからパクってきたシナモンなんやで。
トランクのキーシリンダーをな・・・」と車両どろぼうの手口を自慢げに話し始めたんです。
「いやいや!それ、ただの犯罪じゃないですか!」ってツッコミを入れたかったんですが、さすがに怖くて言えませんでした。

ドライブに連れて行ってもらえてからは仲良くなってくれて、カラオケ店ではFさんの対応要員になっていました(笑)それからは遊びに行ったり外食に連れていってもくれたんですが、ある日にFさんの部屋に遊びに行った時に、手下のような人たちが一生懸命何かの作業をしていたんです。
よく見るとナンバープレートを偽造していました。
その時にはすでに違法な薬物も飲んでしまっている様子でした。

いつもは心の中で「それ、犯罪や」とツッコミを入れていたんですけど、この時ばかりは度肝を抜かれましたね。
人生で始めてヤバイ!と思いました。
今までは祖父の独占的な事業に関わったり、普通のアルバイトではありえないような稼ぎ方をしてきたんですが、この光景を見た後だと、普通に働いて普通の人生を送ることが幸せだと思ったんです。

遊んでばかりだとこんな感じになる!頑張ろう!と思えたので、就職して真面目に働いていこうと決意できました。

 

 

「社長になる」という夢を抱え、人生を変えることを決意

高校の卒業アルバムには、「社長になる」と書いたんです。
就職して、社会人になって、オリンパスに転職してからも、「今の生き方でいいのか?」という疑問はずっと持っていました。
このまま社会の歯車として、時間を切り売りするような生活はいやだ!同級生の中には事業を始めて成功している、自分だってもっとできるはずだ。
やらなきゃだめなんだ!という気持ちはありましたが、何をやればいいのかわからなかったんです。

僕が事業者になるという決意をしたのは、34歳の年末に実家に帰省するときの、東京駅から新幹線に乗ったときです。
新幹線の窓からは、丸の内や大手町の高層ビルが見えて、光がたくさん灯っていました。
それを見て、「世の中にはこんなにたくさんの会社があるんだ。
光の数だけ会社がある」と思い、そもそも会社って何社くらいあるのか調べたのですが、200万社くらいあるそうです。
世の中には200万人の社長がいて、彼らが富の9割を握っている、そのときはそう考えました。

それからは、自分にできる事業は何か?を真剣に考えて、株、アフィリエイト、FX、クルマのパーツの転売など色々挑戦しましたが、報酬を得るために何かしらの労働をしているようでは、会社で働くのと変わらない。
時間を切り売りしていては、人生のレールを乗り換えることはできないと思い、「労働集約型の収入からの脱却」をするために始めたのが、「不動産投資」でした。

不動産投資は、僕の人生を変えた「黄金法則」の1つの手段にもなりました。

次回へ続く


椙田拓也(杉田卓哉)プロフィール

1974年2月、兵庫県生まれ。
北九州市立大学卒。
一般社団法人マネー総合研究所 所長。
投資や財形など、マネーに関する専門家。
大手精密機器メーカー・オリンパスに勤務していたサラリーマン時代に不動産投資を行い、5000万円の家賃収入を得てリタイアしたことから、不動産投資を核とした財産形成を得意としている。儲からない新築区分マンション投資で失敗したサラリーマンや公務員からの相談に対して、独自のリカバリー理論で数多くの人を救った経験を持つ。上場企業や金融機関などから、マネーリテラシー教育に関する社内研修や講演などの依頼も多数寄せられている。
また、財形や投資の知識を身に付けることを目的としたマネースクールの開講を予定している。

公式サイト

https://sugitaya.net/?page_id=2

マネー総研

https://mri.or.jp/#ceo

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