「その時代でいちばん面白そうなこと、他の誰もやらないことをやってたら面白い人生になった」そう語るのは投資助言業を営む松島修さんです。 松島さんを客観的に見て一言であらわすなら「他と違う」だから尖っているし、面白いと支持されているのかもしれません。 本日は松島さんの尖りの原体験にスポットを当ててみました。
世の中を良い方向に変革したかった。
学生のころからそんな事を考えていました。
わたしは、理系の学生で電気工学が専攻でした。
世の中を良い方向に変えたい。
自分にできることは何か・・・?当時、オイルショックがあったので、エネルギーの分野で大きな変革が必要と思いました。
たとえば、UFOのエネルギーって何?とか考えたこともあります。
(笑)具体的に世の中を変えるために何をやればいいのかは分かっていませんでしたが、何か良い変革をすることがしたくて、エンジニアは世界を変えられると思っていました。
大学卒業後の就職は岩崎通信機という通信機メーカーでした。
そこで私が所属した部署は、素材開発の部署で、タッチパネルとか、マイクの素材開発の仕事です。
その後、国際営業部に移転しました。
私は会社員で働くことにはずっと違和感を持っていました。
自分は雇われて働くとダメになるタイプだと思ったのです。
20代で独立をしたいと思い、何で起業するかを考えていました。
エンジニアは世界を変える!という思いと、20代で独立しよう!という2つの思いが折り重なるなか、エンジニアで独立できそうにはありません。
世界を変えるような開発を個人がやるのは、どう考えても無理があったし、そもそも開発にはお金がかかりますから、どこかに所属してなきゃ難しい。
でも、ずるずると所属し続けるのは嫌だ。
ということで、私が選んだのは不動産仲介の道です。
サラリーマンエンジニア職 → 不動産業で独立スタート
ちょうど父親が不動産業をやっていたのもあって、不動産売買仲介業からスタートしました。
不動産売買の世界は本当にぐちゃぐちゃな部分もあり、多額のお金が動く世界ですから悪徳業者もいました。
不動産業というのは、知識のない顧客をいかに騙すかという視点の人が少なくなかったのです。
つまりお客さんをカモにしてるんです。
起業したての若造が思うキレイ事なのかもしれませんが、わたしは「お客さんの代理人」というスタンスをとりました。
お客さんを代理人として守るというスタンスです。
それは自分でもできるし、その視点はとても大事だと思ったのです。
たとえば電話機だと、自社の電話機より、他社の電話機の方が安くて高性能であった場合、自社のものを売るのはストレスですが、お客さんの立場で全ての電話機の中で、これが最適ですと提案する方が、WIN-WINだと思ったわけです。
メーカー側ではなく顧客側につくということです。
お客さんの代理人というスタンスで、不動産の売買仲介で独立スタートしたわけですが、そのスタンスはとてもウケました。
考えると当たり前なのですが、お客さんを大事にしていれば仕事は順調に進んでいきます。
ただ、基本的にきた仕事を断らないでいると、どんどん難しい案件、他の誰もがやらない案件が多くなっていきました。
不動産業界の難しい案件とは、ややこしい相続とか、コンサルなどです。
世の中に誰も知らないようなケースも手がけてきました。
だから、私が事例集作ると面白いんだけど「そんなケース誰も経験しないから誰も買わないよ」などと言われてました。
(笑)金融はシンプルで、例えば日経225が現在どんな状況なのかは、ちょっと勉強すれば誰でもわかります。
でも、不動産はマンション一室から開発案件、地域性も強く、幅も広く、案件ごとに個々の特殊事情があるです。
一つ一つ全部違うというのは、ある意味面白いですね。
独立と同時にFP(ファイナンシャルプランナー)の資格やCFPの資格も取り、CFPの問題作成委員もやったくらいなので、FP的視点から不動産コンサルを含めた全資産の実践的なアドバイスができるようになりました。
FP的なケースで言うと、、、
日本の相続税ってものすごい高いって知ってますよね。
でも、本人は相続税にあまり興味ないんですよ。
相続税は自分が払う税金ではないので、1億円の相続税の節税より毎年かかってくる固定資産税10万円の節税の方が、関心があるんです。
固定資産税の節税提案をやっている人がまだほとんどいない頃、日本で一番沢山やっていたことがあります。
他にやり始めた人がでてきたので、やめましたが。
(笑)
他の人がやり始めると自分は違う分野で新しいことを始めたくなるんです。
1995年に日本で初めて不動産の精神的瑕疵(心理的瑕疵)が裁判で認められた裁判がありました。
その裁判に勝った原告側のレポートを書いていたのが私なんです。
簡単に説明すると、4メートル×4メートルの十字路がありました。
Aさんがその十字路の角の土地を買いました。
しかし、その十字路の反対側は暴力団事務所でした。
それを知らされずにAさんは土地を購入してしまい困ってしまいました。
Aさんは売主相手に裁判を起こしました。
95年当時は、不動産鑑定でも精神的瑕疵による価格の減価という概念は無かったのです。
普通に考えて、暴力団事務所の目の前の土地だと聞いていたら買わないですよね。
普通に考えたら同じ価格じゃおかしいでしょ!
だから、私はCFP・不動産コンサル・不動産仲介業の立場として、50%減と査定しました。
調査のため現地に行くと怖いお兄さんににらまれたことも調査報告書に書きました。
結果20%減を勝ちとったわけです。
この事件から精神的瑕疵の分野がどんどん厳しくなって、死亡事件などの瑕疵がどんどん認められていきました。
このような日本初みたいな案件は得意だったのですが、暴力団といえば面白いことがあって・・・
松島修 プロフィール
1960年東京生まれ。
法政大学工学部電気工学科卒業後、岩崎通信機入社。
1990年岩崎通信機円満退社後、独立。
現在、日本最大規模の顧客を抱える投資顧問会社エフピーネット㈱代表取締役。
関東財務局長(金商)第1898号。
顧客の真の富(資産・才能・能力・知恵・環境・人間関係・使命・自分の内面を磨くこと)を拡大することを使命とするコンサルタント。
金融危機前の各相場のピークを予測し、「全ての投資を止める時」と事前に警告した投資アドバイザー。
投資助言のメルマガ「新イーグルフライ」や「投資の王道セミナー」を開催しています。